下関市 | 2022、7、4 |
山口県下関市阿弥陀寺町にある赤間神宮
隣町が壇ノ浦町です。
ここは、壇ノ浦の戦いで平家一門とともに海に沈んだ安徳天皇を祀るお社。
今年の4月に鎌倉を旅して
敵方だった北条家に関わる『建長寺』を訪問しています
6月には安徳天皇の母の建礼門院の安住の地
『寂光院』へも訪れてお参りしています
今日のスケジュール1番目の赤間神宮に到着 まずは水天門の方へ 水天門は、源平最後の戦いの場となった壇ノ浦を 望む竜宮造りの楼門です。 |
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水天門から望む大安殿 観光バスは私達だけなので、 安心してお参りできます。 |
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巫女さんが一段一段丁寧に 掃き清めていました。 |
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しっかり参拝してきました。 |
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芳一堂へもお参り。 ずいぶん昔になりますが、 「耳なし芳一」をテレビで見て お墓の前の芳一が平家の落ち武者達に囲まれてしまって 歩く時の鎧のガシャン、ガシャンという音と共に 琵琶の音色等の音響効果が心臓をバクバクさせ その他のシーンも、すごく怖かったのを思い出しました!! この後、平家塚へもお墓参りをしてきました。 |
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宝物殿内を見学しました 琵琶が多数展示されていました。 |
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見事な源平合戦絵巻の屏風です。 |
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建礼門院と安徳天皇を抱いた二位尼・時子像です。 海の中に飛び込む時に安徳天皇が怖がらないように 時子は「海の底にも都があり、ババがお伴するから行きましょう」と答えたと言う |
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鎮守八幡宮 |
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この後、御朱印を戴きに社務所へ ここは少しお高めで500円でした。 他の参拝者は聞き直していました。 |
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後ろから見た水天門です 建立した翌年の昭和33年に 昭和天皇両陛下が通り初めをされています。 |
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猛虎出陣図とありますが、 虎にまたがっているのは髪型からすると 安徳天皇? |
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安徳天皇阿弥陀寺陵の方へ |
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安徳天皇阿弥陀寺陵 西日本ではただひとつの御陵です。 |
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参拝を終えた後、道を挟んで向かい側から撮影 |
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昔、戦いがあった周辺の海だなぁと 思いながら眺めていました。 |
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関門橋をくぐる貨物船 |
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建礼門院と安徳天皇を抱いた二位尼・時子像 駐車場に戻る際に見つけたのですが、 初めて見た時は何の像か分からず、 下に書かれた文字を読んで判明しました。 |
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『平家物語』の冒頭ですね。 50年以上も前ですが 高校生時代 「古文」の授業で暗記させられました。 あの頃は色々な本の冒頭を暗記しました! 当時の先生のお名前も思い出しました 〇島先生。 当時のことが懐かしい〜〜 |
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バス内からの写真 義経の八艘飛びと 錨を今にも振り下ろさんとする平知盛像です |
大河ドラマもいよいよ北条一族のお話の方に移っていきますが、 丁度、先週の放送で頼朝が落馬した噂話が話題になっていました。 旅行前にこの落馬の原因は【平家の亡霊】にまつわる話があると知りました。 その内容とは 鎌倉時代茅ヶ崎東部沿岸等を含む広い地域は 八的ヶ原、後に八松ヶ原と呼ばれていた。 頼朝は八的原で弟の源義経・ 叔父の源行家と義広の怨霊に出会ったとのだといいます。 そして、次に稲村ヶ崎では安徳天皇の亡霊が現れたのだとか。 稲村ヶ崎で安徳天皇の亡霊を見た頼朝は、急にめまいがして倒れて落馬。 この稲村ケ崎も4月の鎌倉の行った時に ここの芝生で休憩しました 偶然の話に私自身もビックリです。 何はともあれ、しっかりお参りさせてもらって来たので 祟りはないかなと ・・・ |